東北地方太平洋沖地震から10日。

いろいろな思いが錯綜する中、もっと被災者の立場になって考えなければと思うことがあります。


まずは石原都知事の「天罰」発言。

日本人は我欲を一度洗い流す必要がある。津波は天罰。

というような内容の発言があったということを、私は新聞のコラムで知りました。

どんな真意が込められていたとしても、あまりにも今の状況、被災者の気持ちを考えてなさすぎる言葉ではないでしょうか。




そしてFukushima 50と海外で呼ばれている福島原発の作業員たち。

日本では、とにかく早く放射線漏れを防げ、冷やせ、水を入れろと報道され続けてきました。

だけれども、そこで実際に被曝しながらも作業をしている人達のことにはほぼ触れられていなかったように思います。

Fukushima 50という言葉が出てきてだんだん作業している方がいるということに気づかされた。

そしてその方たちには当たり前のことに家族がいます。

作業にあたっている大切な人がどうか無事でありますように、と毎日祈っている家族がいます。

実際に原発の中で作業している方たち、そしてこれから原発の修復作業に取りかかる関係者の皆さんがどうか無事でありますように祈っています。


まだまだ大きな余震もあったり、原発も通電したとはいえ油断を許さない状況です。

不安はまだまだ続いていますが、絶対に立ち直れる、再起動できると信じています。



報道がなければ現地にいない私たちは被災地の現状を知る事ができません。

報道の仕方ひとつでみんなの気持ちが変わる。

ガソリンのことだってそうだし、食料買いだめもそうだし、少なからず報道からみんな影響を受けている。

報道は諸刃の剣。

善くも悪くも影響を与えるということ、このように報道したらその後視聴者がどのような行動をとるだろうか、それによって起こりうる問題も視野に入れて欲しい。

特に今のこのような状況では情報が頼りです。

福島原発のことだってそうです。

例えば放射線値の報道。

ミリシーベルトとマイクロシーベルトが混同して報道されることによって何気なくニュースを見ている視聴者は混乱してしまいます。

1シーベルト=1000ミリシーベルト=100万マイクロシーベルト

何気なく聞いていたら数値だけが頭に残り、単位が混同してしまい混乱します。

それに加え野菜被曝。

今度はベクレルとかいう単位が出てきました。

ベクレルは放射能の量だそうですが、ただベクレルと言われても一般人にはよくわかりません。

わからない=不安=混乱を招く

という悪循環が起きているような気がしてなりません。


専門家には通訳が必要、とドラッカーの言葉があります。

報道もそうではないでしょうか?

地震から昼夜問わずテレビで報道を続けている記者、アナウンサー、そして専門家の方々のお陰で私たちは今の日本の状況を知る事ができています。

おそらく寝ずにテレビに出続けているのだろう、情報を集めているだろう関係者の方々の忍耐力には頭が下がります。

どうかプラスα、むやみに不安を煽る報道ではなく、私たち視聴者への良き通訳となりうる報道を望みます。





新潟も2度の地震から立ち直った。
地震の時に親切にしてもらった東北の人たちに今こそ恩返しをする時。

私の家族がそのようなことを言っていました。



募金をすること、節電すること、祈る事。

それくらいしか今の私にはできないけれど。

今自分にできることをみんなが少しずつでもできたら。

そして被災者の立場になってもっとみんなが考えることができたら、復興も早まるのでは。

そう思います。